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どうして科学者が市民科学を推進するのか

 ここ数年、種生物学会や日本生態学会などで市民科学に関するシンポジウムが開催されている。なぜ、ここまで職業研究者が市民科学の推進を訴えるのか、科学者が公には絶対に語らないであろう真意を、私自身の経験を踏まえて考察したい。

 

①研究分野によっては多くの人手が必要な場合がある

 特に動植物の分布調査や生態系調査がこれにあたる。例えば各都道府県の自然系の博物館はそれぞれの地域の動植物の調査を行い、その地域に動植物相を明らかにするのが仕事の一つである。しかし、広大な地域の動植物相を継続的にモニタリング調査することは職業研究者だけでは不可能であり、結果として、地元の愛好家と協力して仕事を行っている場合がほとんどである。

 

②職業研究者の専門分野が狭い

 近年、専門分野の細分化が進み、少しでも自身の専門分野から離れた分野に対しては全く無知という研究者が増加している。例えば、昆虫専門家と一言でいっても昆虫をオールマイティーに詳しい人は存在しないといっていいだろう。昆虫の中でもトンボに特化した人、ハチに特化した人、ハエに特化した人などそれぞれの専門があり、同じ昆虫の中でも他の分類群には無知な研究者が増加している。しかし、地方の自然史博物館では「昆虫専門の学芸員」として昆虫に対するオールマイティーな専門知識が求められる。昆虫だけでなく、かつては植物の仲間とされていたキノコに関しても、現在もシダやコケといった隠花植物の学芸員が担当することが多く、分類階級で言えば「界」を超えた幅広い知識が要求されるのである。また、地方博物館の学芸員の場合、科学研究に携わっていた研究者ではなく、もともと教員だった人が博物館に異動して学芸員として働いている人も多く、基礎的な知識が不足している人も多くみられる。
 専門分野の細分化が進んだ現在、当然、これらの幅広い生物の知識を学芸員が持つのが困難になり、地元の愛好家の方が知識が上という逆転現象が当たり前のように起きている。そのため、職業研究者がアマチュアに教えを乞い、仕事を進めることが多々ある。

 

③時間・資金が不足している

 職業研究者は限られた時間・資金の中で研究成果を残さなければならない。この場合の成果は多くは論文であるが、一般的には多くの論文を影響力の高い科学雑誌に掲載することが研究者としてキャリアを積む上で重要である。しかし、研究者は研究以外の雑多な仕事に時間を割かれることが多く、毎年安定した、潤沢した研究費が得られるわけではない。科研費に当たるか落ちるかによって研究内容の変更を余儀なくされることもある。そのため、自身の研究に無償で協力してくれる人材として、市民科学者を利用するのである。
 特に、広い地域の動植物の分類や生態、遺伝について研究している人は、全国の愛好家や市民科学者に標本の採集をお願いするケースが多い。最近ではtwitterfacebookなどのSNSを駆使して、「〇〇を調べているので標本を送ってください」などと呼びかけている例も多くみられる。これにより、本来必要な現地調査にかかる時間や交通費などを抑えるのである。

 

④市民といっしょに研究していることが科学者としての評価軸になる場合がある

 前述したように、学芸員は地域のアマチュアと良好な関係を結ぶことがキャリアを積む上で重要なステップである。そのため、学芸員志望の研究者は、市民と仲良く研究していることが大きなアピールポイントになる。また、市民と一緒に活動して成果を残すことは研究内容そのものよりもニュース性が高く、資金獲得に有利に働く場合がある。よく、「地元の愛好家が新種を発見」などといったニュースを目にすることがあるのはそのためである。最近では、論文のタイトルにわざわざ「citizen science」という単語を無理やり入れ、市民と仲良く科学活動をしていることを露骨にアピールする研究者も少なくない。


ざっと思いついたものを挙げたが、まだまだ理由はあるだろう。
現在の職業研究者は、資金不足・人手不足が深刻であり、無償の労働力がなければやってられないという環境が整ってしまっているのである。そのことが結果として、職業研究者による市民科学者からのやりがい搾取の横行を招いてしまっている。